『滝川市で働き続けるには警察か自衛隊に入るしかない』と言った滝川市出身のある作家に蟹工船を見た

この記事は、もともと滝川市で起きた使い捨ての若者たちによる死体遺棄殺人事件のなかで触れていた部分であるが、別個の記事としてまとめることにした。とりたてて強く主張したいことがあるわけではないが、当該事件の一節として押し込むのは、どうにも違和感があった。

滝川市出身の雨宮処凛氏は、厚生労働省ナショナル・ミニマム研究会の委員を務めるパフォーマーであるが、「滝川市では警察か自衛隊に入るしか働き続けられない」と断言しているという。

以下にその典拠を挙げておく。

私の出身地は北海道の滝川で自衛隊の駐屯地がある。滝川では自衛隊か警察に入るしか働き続けられない。イラク戦争で死んだら1億もらえる。自分の町そのものが搾取されている。

(雨宮処凛×堤未果 対談より)

出典: https://lumokurago.exblog.jp/7578707/

滝川警察署のお巡りさん、滝川駐屯地司令殿、これは事実なのだろうか。

それはさておき、雨宮氏の発言を見るたびに思うことがある。

彼女は「女子であること、それ自体がカルマである」と語っているが、現実の日本社会は、昔から女性優遇が根付いてきた社会である。コンビニやスタンドのアルバイトから公務員まで、女性の方が採用されやすい環境が長年続いてきた。安倍政権が推進した「女性が輝く社会」とやらの掛け声は、その傾向にさらに拍車をかけた。皮肉に聞こえるのなら、それは受け取る側の問題である。

むしろ彼女にとっては「女子という呪い」ではなく「滝川という呪い」こそが根源なのではないかと思えてくる。現在の彼女の社会的な言動や主張の出発点は、滝川出身であることにあるのは明白である。滝川という、若者が使い捨てにされる町に生まれた「カルマ」を、彼女は死ぬまで背負い続けて生きていくのだろう。

そのカルマを糧にしながら、底辺の貧困層の若者を焚きつけ、公安警察の監視対象になりながら、彼女のパフォーマンスはこれからも続いていくのではないか。

とはいえ、滝川に限った話ではない。何かに秀でているわけでもなく、書く力もなければ人を笑わせる術もない。起業する勇気もなく、税金を納める気概すら持たず、フリーで生きていけない人間は、雇われることしかできない。そんな者が生きていけるほど、日本社会のどこも甘くはない。

こうした現実を、「搾取されている」という言葉で片付けるのか、「生きづらさ」と呼ぶのか、「努力不足の自己責任」とみなすのか、それは人それぞれだろう。だが、あなたはどう思うだろうか。

雨宮氏には、ぜひ出身地である滝川で起きた若者による殺人事件についても言及してほしいと思っている。

この記事は、決して雨宮氏を批判するためのものではない。単に「警察や自衛隊以外に働き続けている人は滝川にいないのか?」という素朴な疑問から出発している。そして、「ならば逆に、警察や自衛隊という制度を利用して金を稼ぐという発想には至らないのだろうか?」という問いを投げかけたくなったのである。

若い女性の少ない地方都市で、バイトで日々をつなぎながらも、何も自分の力を育てることができず、企業からも育てられず、資本に使い捨てられて終わる。そんな現代の若者たちの姿は、まさに悲惨である。日曜の求人チラシに出ている見慣れた顔ぶれの工場や飲食チェーンを渡り歩き、執拗なイジメに遭いながら、月給は11万円。場合によっては企業側にかけられた生命保険の対象にされ、自殺に追い込まれる。火災保険詐欺より悪質な話である。

結婚もできず、家庭も築けず、誇れる仕事にも就けず、社会的には見下され、12時間働いても生活が立ち行かない。厚生年金すらかけられず、老後の生活保護の保障すらない。

こんな国で生きていかねばならない日本の若者たちは、不幸すぎる。

その反動なのかどうかはわからないが、長万部町のゆるキャラ・まんべくん(元自衛官)は、Twitterで「子供を殺した」とつぶやいたことがあるという。