滝川市長宅の隣の焼肉屋が失火で全焼!

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「店舗北隣り」に滝川市長宅。

北海道新聞の報道によれば、当該店舗の北隣には市長宅が所在していた。当局が当該店舗前の道路を連昼連夜パトカーや覆面を走らせ、警戒していた理由はそこにあるのだろうか。市政の要(かなめ)をやられては・・・。当局の警戒が日ごろ厳なれば、付近で飲酒運転なども起きないし、谷越や古味など疫病神バッカスも来ない。来るわけが無い。もし火災が起きても初期の段階で即座に発見されるだろう。住民が安心して暮らせる、安全な地域に違いなかったであろう。だがしかし(駄菓子屋の黒ちゃんにダチと連日入り浸っていたガキの頃のボク!)。住民が恐怖におののいたのは10月25日午前一時前。HBCニュースによれば、当該店舗の火災通報装置が作動し通報が入ったという。すぐに関係機関職員らが緊急車両で勇ましく駆けつけて活動にあたるが、すでに火は”レンガ造一部木造平屋”の店舗建物、約800平方メートルを飲み込んでいた。店舗前は大きなT字路で開けているが、店舗裏は道路を一本挟み、住宅が10軒以上整然と立ち並ぶ。燃えさかる火の海の中で燃料やガスボンベなのか、何かが何度も弾け、その爆発音が怖かったという付近の人の声も。ショートした電線は送電機能を失い、三楽街の多くの店舗に停電をも発生させ、付近一帯はブラックアウト。週休二日も半ドンもほとんどないブラックばかりの中空知英秋では花金ではなく、土用の夜こそが稼ぎ時であるが・・・。冒頭で引用させていただいた北海道新聞の記事を見ると、あの燃えさかる炎の様子は、午前2時10分ごろに撮影されたものだ。そして、火災は6時間後に鎮圧(鎮火)された。100年の時を刻んだ歴史的「レンガ倉庫」は6時間の業火に晒され見るも無残な姿になってしまった。昨日まで平常営業していたはずの店舗が。

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写真は当然、店舗敷地外の公道からの撮影であるが、随分と離れたこの場所からでも、燻った臭いがした。 renyamoe006_2
店舗左隣の「別会社所有の倉庫」の様子。この写真は重機による解体が進んだ直後のもの。倉庫の中には重機が格納されていたようで、それもまる焦げになっていたが、すでに撤去されたようだ。倉庫については道新で報じられている通り、同店舗運営会社ではなく店舗向かいの別会社が所有するものだったという。火事はときに他人の所有物や他人の命まで。身震いがする。

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こちらは「店舗」の後ろを、公道上から撮った写真だ。不自然にセメントでふちどりされた部分は、出入り口のドア部分であった。後付けされたのだろうか。この「レンガ倉庫」に足を踏み入れたことは一度たりともないので、店舗内のホールの間取りなど今となってはまるでわからない。ただ、奥に見える美しく幾何学的な模様が出るように整然と並べられた煉瓦を見ると、当時の人夫らの苦労が伝わってくるようだ。この倉庫が明治時代に、何人の職人や日雇いニンプさんを現場代理人が使って、何百日目で完成させたかは筆者の与り知るところではない。当時は当然ながら重機もなく、レンガを一つひとつ手作業かつ、ヤッスイ賃金で積んでいったのだろう。いずれにせよ、三途の川の石積みよろしく、重労働は本当にご苦労なことだっただろう。この「レンガ倉庫」は、100年もの長い年月の間、滝川の街の発展や、どれほど多くの行き交う人々や出来事を見てきただろうか。倉庫の外も、中の事も。やるせない。

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