沈黙の空知――砂川・半グレ・交通死と「闇の継承」

私には忘れられない交通事故と死がある。ただの交通事故ではなかった。もう10何年も前のことだ。が、それは追々書こうと思う。

さて、いつもの“愛すべき”砂川の話題である。かつて、子ども時代に訪れた砂川市。あの頃は「こどもの国」へ向かう途中の国道12号の交差点でさえ、ただの思い出の風景だった。だが今、その交差点が死亡事故現場となり、全国紙に名前が載る日が来ようとは、想像もしていなかった。

この地域に、かつては「暴力団」や「半グレ」などという言葉が似合うとは思えなかった。ところが現実は違った。2015年6月17日付のプレス空知では、当時の砂川警察署長のコメントとして「市内におよそ10名の反社会的勢力が存在している」と報じられている。数字こそ少ないように見えるが、その影響力や潜在的な広がりは侮れない。

2015年、事故現場近くでは、飲酒運転による悲惨な交通死亡事故「砂川市一家5人死傷事故」が発生したが、クローズアップ現代では、飲酒運転の撲滅に本気で取り組む本州の飲食店や警察の取り組みを紹介していたが、この番組が言わんとするのは単なる「飲酒運転対策」だけではない。社会構造そのものの歪みに踏み込もうとしていた。

加害者とされた人物たちには、日常的に飲酒運転をしていたという地元民の証言もあった。酒を提供していた店、その運転を黙認していた家族、異常な運転を見ても通報しなかった近隣住民――事件の構図には、個人の責任だけでなく、地域社会全体の「見て見ぬふり」が存在していた。

空知地方では過去にも、交通トラブルをきっかけに土木作業員の親子がツルハシで車を襲撃した事件、落雪トラブルから重機で隣家に突っ込んだホテル経営者など、常軌を逸した事件が記録されている。「半グレ」と呼ぶにはあまりにも粗暴で、あまりにも無軌道。それでも、そうした人物たちが飲食店を経営したり、一人親方として仕事を請け負い、高級車に乗っているという現実がある。

なぜ「この程度の事業規模で、レクサスやクラウンに?」と疑問を抱くこともある。経費か、リースか、あるいは借金漬けか。だが、そこにはまた別の闇がある。死亡保険金の受け取り、労災を偽装した放火事件――現実に存在する「保険金ビジネス」が、労働者の命を貨幣に変える。

思い出すのは「夕張保険金放火殺人事件」だ。社長夫婦は死刑となったが、火災を装って従業員を焼死させ、保険金を満額受け取った。もし共犯の一人が「次は自分が殺される」と恐れて自首していなければ、事件は闇に消えていただろう。

かつて空知は、炭鉱街として栄えた。朝鮮人労働者も動員されたこの地では、過酷な労働のなかでヤクザが支配力を持ち、脱走を防ぐために脅迫や暴力が日常的に用いられたという証言もある。「大夕張ダムの底に沈んだ街」には、まだ誰も語ろうとしない闇が眠っているのかもしれない。

やがて炭鉱は閉山し、ヤクザたちは旨味のなくなった夕張を捨て、札幌や旭川へ流れていった。しかし、何もかもが去ったわけではなかった。残されたのは、組織に属さない「次世代」の影――半グレ未満のアウトローたちだ。

いま、彼らは人夫出し会社を経営し、建設業や飲食業を隠れ蓑にしながら、地域社会のすぐ近くで息をひそめている。時には事件の被疑者として名前があがり、また時には何食わぬ顔で地元のイベントに顔を出す。

社会の隅で、命を「搾取対象」として見なす構造は今も生きている。福島の原発事故後の復旧作業で、ホームレスをかき集めて放射線下に送り込む構図。今ではその対象は東南アジアからの「技能実習生」にすり替わっている。変わったのは対象だけで、仕組みは何も変わっていない。

空知。かつて炭鉱の煙が立ち昇った街に、今も別の「黒い煙」が立ち込めてはいないか。

地域に受け継がれる「闇」への視線を私は今も忘れない。警察が彼ら暴力団と紙一重であることも。