2016年7月17日、砂川警察署は酒気を帯びた状態で普通乗用自動車を運転したとして、砂川市に住む42歳の派遣社員の女を道路交通法違反の疑いで逮捕した。
現場は、北光公園付近の、なぜかやたらと街路樹が生えている分離帯付きの市道、通称「湖畔通り」である。この道、分離帯のせいでただでさえ狭いうえに、無駄に曲がりくねっており、酔っ払ってないドライバーでも走りづらい難所である。そんな道を、42歳の派遣社員の女は、飲酒状態で何を思ったかワイルドスピード。
結果はご想像のとおりである。乗用車は街路樹に盛大に衝突し、フロント部分は原型をとどめぬほど大破。街路樹も危険なため、伐採措置が取られた。一本の木の命が、こうしてあえなく終わった。さようなら、街路樹。
なお、今回の事件について、プレス空知は「砂川市では今年2月の新聞配達員の飲酒運転摘発に続き、2件目である」と報じていた。ここから逆算すると、6月に市内の小学校で行われた運動会での保護者による飲酒運転については、未だ摘発されていないということになる。
あれはどうなったのか。ひっそりと書類送検されたのか、それとも例のごとく『アンタが見たとしても、ウチらは見てないもん』という便利な魔法の言葉で不問に処されたのか。あの台詞だけは、今でもはっきりと記憶に刻まれている。だからパトカーを変態誘導で事故らせたやつへの上司の叱責を巻き添えで受けることになるのだ。
しかし、である。昨年あれだけの惨事が発生し、市議や警察までが相次いで問題を起こした直後の町で、翌年も変わらず飲酒運転が繰り返されている。もはや個人のモラルがどうこうという問題ではない。
この記事を読んでいる者も、すでにお気づきのはずだ。一部の人物の素行の悪さというよりも、この砂川という自治体そのものに、根本的な異常性が内包されているのではないかと。
そして9月に入ったある日、またもやプレス空知が記事を出した(※以下に引用しているのは道新の記事であるが)。9月12日、砂川警察署は、砂川市内のラーメン店元店長の女を、道路交通法違反(飲酒運転同乗)の疑いで書類送検した。彼女は7月の事故に同乗していた人物である。しかも、単に助手席で居眠りでもしていたわけではない。どうやら、もっと積極的に飲酒の現場に関わっていたようである。
【砂川】昨年6月、飲酒運転が絡む一家5人死傷事故が起きた市内で、飲酒運転が根絶できない状態が続いている。市が一家の命日(6月6日)にちなんで飲酒運転撲滅を誓うと定めた今年の「飲酒運転撲滅の日」から3カ月で、計3人が逮捕、書類送検された。うち一人は酒を提供する立場の飲食店店主だった。砂川市や周辺では人身事故に占める飲酒運転の割合が全道でも高く、問題は根深い。
砂川署は今月12日、上砂川町の無職の女(35)を道交法違反(飲酒運転同乗)の疑いで書類送検した。同署によると、容疑は7月17日午前3時50分ごろ、砂川市の派遣社員の女(42)が飲酒したと知りながら運転を依頼し車に乗った疑い。派遣社員の女は同日、道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで同署に逮捕された。
市内の飲食店関係者によると、無職の女は当時市内でラーメン店を営んでいたという。2人は友人で、派遣社員の女が逮捕される前、市内の飲食店で一緒に酒を飲んでいた。
典拠元 北海道新聞
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doo/1-0315401.html
なんと、砂川市の派遣社員の女(42)が飲酒していたことを知りながら、運転を依頼した疑いがあるという。単に同乗していただけではない。つまり、この飲酒運転を主導した黒幕こそが、ラーメン店の元店長の女というわけだ。
ここまでくると、もはや個々人の資質や偶発的な過ちなどという次元ではない。この砂川という自治体そのものに、根本的な異常性が内包されているのではないか。問題は根深い(笑)
しかも、北海道新聞の報道によれば、砂川市およびその周辺では、人身事故に占める飲酒運転の割合が全道でも高いという。
>砂川市や周辺では人身事故に占める飲酒運転の割合が全道でも高い。
>砂川市や周辺では人身事故に占める飲酒運転の割合が全道でも高い。
二度読んでも状況は変わらない。問題は、やはり根深い。
筆者は、ある砂川市の公職にある人物が自身のブログで飲酒ひき逃げ事件を取り上げた際に述べた、「犯人は上砂川町民。砂川市は現場として関係させられただけ」という言葉を、今でも鮮明に覚えている。この人物は、事件を引き起こしたのが上砂川町民であることを理由に、あくまで「砂川市は巻き込まれただけ」と主張したのだ。
だが、事実はどうだろうか。この砂川という地域には、飲酒運転に対して無関心で寛容な空気が、今もなお漂っている。言い換えれば、街全体の気質にこそ問題の根がある。
愛媛大学の小佐井良太准教授は、砂川飲酒ひき逃げ事件について「状況や環境が生んだ」と言い切っている。状況とはすなわち、犯人の周囲の人間の無関心であり、環境とはすなわち砂川という風土そのものである。事故を起こした2人は夜な夜な砂川市の繁華街に乗りつけ、飲酒と暴走を繰り返していたという。飲食店も、周囲の人々も、その行動を知っていながら、誰ひとり止めなかったのだ。
(出典:https://www.j-cast.com/tv/2015/06/27238800.html)
そして「環境」が指すのが砂川であることは、もはや疑いようもない。北海道新聞の繰り返す通り、砂川市やその周辺では人身事故に占める飲酒運転の割合が際立って高い。これは、加害者が市外の住民であったからといって、砂川市の責任を回避できるという話ではない。
「関係させられただけ」などという方便では済まされぬ、地域社会の構造的な病理こそが問題の核心なのである。
それでもなお、「砂川市は関係ない」と強弁していた者が、公職にあったことには驚きを禁じ得ない。ま、削除されたようだから、もはや記録も記憶も消えてしまったのかもしれないが、問題は根深い(笑)
ちなみに、件のラーメン店は、昨年プレス空知で取り上げられていた。プレス空知は、ラーメン屋の紹介記事を書いたその媒体で、女店主の不祥事もまた報じる羽目となったのが乙である。
紙面をうめる地元の話題に困っていたのかもしれないが、ヤンキー出身の成り上がり店主による、底辺飲食店のドラマ仕立ての記事ばかり連発するのは、そろそろ再考された方がよいのでは。