本州の観光客が北海道へ来るとその交通マナーの悪さに呆れかえると言う。土地の面積、道路の広さゆえの慢心なのか、それを如実に表したのが道央を貫く国道12号だ。国道12号は札幌市から旭川市へ至る一般国道で「日本一長い直線道路」の異名を持つ。
その原始は1886年(明治19年)5月に着工され「死の突貫作業」によって生まれた「囚人道路」こと上川道路にまで遡る。
上川道路の工事作業には当時の樺戸集治監、つまり刑務所の受刑者が使われ、過酷な強制労働によってわずか90日で開通したという。平民には人権なんぞ無いに等しい明治の日本。蝦夷地の囚人には使い捨てのブラック飲食店のように、さらにない。結果、左派の尽力のおかげで現代の刑務所の中の環境レベルは良好だ。入ったことも見たこともないのに良いなんて断定口調で書いてしまうのも問題だが、実際にホームレスが衣食住を求めて刑務所への収監を求めているそうだから間違ってはいないだろう。一方、「罪も犯していない」人々が勤める底辺職種の如何にひどい労働環境か。
当時の樺戸集治監では大山莉加がやられたレベルの過酷な洗脳と強制労働に隙をついて脱走でもしようものならば、耳に穴を開けられて、耳と足を鎖でつながれたという。重労働にもかかわらず、自称アットホームなお店です!同様にロクな食事も与えられず、過酷な長時間作業によって工事現場で絶命する者が多数いたが、その散った囚人の命の数は虫けら同様だとされたのか、記録には残されなかった。
また、その遺体も手厚く葬られることは無く、12号の土中深く今も多くの鎖につながれたままの遺骨が埋まっており、未来永劫、掘り起こされて供養されることはない。我々は日々彼らの上を通る。
彼ら囚人の中には殺人を犯した凶悪犯だけでなく、政府に文句を言って捕まったいわゆる思想犯もいた。彼らもまたこの使役により命を落としている。 このような黒歴史はともかく、現代では交通機動隊砂川分駐が設置され、平穏が保たれていたようにも思える。
しかし、それもつかの間。近年の同分駐廃止も相まってか、過酷な道路状況となっており、自動車の高性能化、”マイルドヤンキー”と称されているチンピラを絶好の顧客としたトヨタ自動車のミニバン販売戦略もあってか、もう道路マナーは滅茶苦茶。
周りを見れば、酔っ払いの砂川市議の高級セダンや……
砂川市議会議員が飲酒運転で逮捕……車をぶつけたまま放置して徒歩で家に帰り、朝まで寝てた!
女性配達員の車が街路樹に突っ込んでいる。それを唆して飲酒運転させ、摘発されたラーメン屋の店主がいる。
7月17日、砂川市内で本年2度目の飲酒運転逮捕者
同僚と酒盛りして二日酔いで出勤し、パトカーを飲酒運転しようとする砂川市の警察官がいる。
11月9日 砂川警察署員が飲酒運転。砂川市は事実上『飲酒運転の街』汚名返上が不可能に
砂川市立小学校の運動会で保護者が酒を飲み、飲酒運転で普通に帰る。
2016年5月28日 今度は砂川市の公立小学校の運動会にて保護者が飲酒、車を運転して帰宅する珍事が発生
こんな無法地帯を観光客のレジャッコが制限速度で走ろうものならば、地元砂川の変てこなシール貼ったプリウスやベルファイヤやアルファードにガンガン煽られ、ワルそな奴らの機嫌が悪ければ殺されかねない荒れたスイートロードだ。プリウスは公道の主役というか街道上の怪物だからな。小林源文か。ニートフリーター滝川グラード。
砂川市一家5人死傷事故について
とは言うものの『俺は人を殴るために生きている』などと公言した例の煽り運転犯・石橋事件以後、全国的にドラレコが普及してからは差ほどでもなくなったように感じる。
やはり、どの車にも防犯カメラが設置されている昨今、輩もシゴトがしづらくなったのだろうか。
もちろんドラレコの普及には『砂川飲酒ひき逃げ事件』も多いに貢献している。
いずれにせよ、ドラレコ普及まで払われた犠牲は取り返しのつかないほど大きい。